baby in the sound bath

実は先日、家族3人でsound bathに参加してきた。

以前のブログで紹介したスーパー宇宙人は結局、ウクライナから来ている人らしく、
ひょんなところからウクライナ人のグループと仲良くなり、彼らがとあるホールでプレイするというので何が起こるかもわからずに行って見たところ、実はsound bathだったという話なのだけど。

以前参加したsound bathの中で歌ってくれていたカリフォルニアのボイスヒーラー(彼女はパフォーマンスのためには歌わない。普段はヒーリングセンターで水の中で対象者をハグして歌う、ということをしている!)も来てくれて、私的には最高のsound bathになる予感がしていた。
こんな天才ばかりが演奏するサウンドバスってめったになかろう!!!!


赤ちゃんがいたらなかなか本格的なsound bathには参加できないし、遠慮するのが普通。
しかしわからずに来てしまったからには仕方がない。
私の期待は高まった。

時間になってもミュージシャンが揃わないし、しばらくいさせてもらって
始まって蓮が騒ぐようだったら出て行こうかなと思っていたところ、
なんとウクライナのミュージシャン達は蓮を受け入れてくれた。

「いいよいいよ。彼がガイドしてくれるから。先生だから。」

とのことで、あぁ、私達は家族3人でsound bathに参加できることになった。

その時の感動と言ったら。

蓮はミュージシャンの行動をよく観察して、自分もそこに混ざって演奏をしていた。
ティンシャを静かに叩いているときは一緒になってティンシャを。
少し盛り上がってくるとシェイカーを。

身体を開くためのダンスの時間になった時、太鼓が始まり私達が足踏みをしてダンスを始めると蓮はすぐに私のところへ抱かれに来た。
「ダンスするときはママのだっこ」
が彼のルールでもある。

リーダーのガイドでズンズンと足をふみ鳴らし、ムラダラチャクラを活性化する。
蓮も声を出して吠える。

炎の呼吸でマニプラチャクラを刺激する。
「ハッハッハ!」
蓮も一緒になってと声を出して息を吐きまくっていた。

そしてアナハタチャクラ。
触れ合いとハグ。自分自身をハグして愛おしむ時間。

英語が分かるわけでもないのに蓮は私のことを優しく撫でてキスをし、ハグしてくれた。
子どもは空氣でキャッチするから言葉が違っていても、
みんなのエネルギーで何をするのかがわかるのだ。

もう一度自由に動いて、身体の準備ができた後は、ゆっくりと仰向けに寝る。

蓮もしっかりワークができていたらしく
シャバアサナを作る頃には私の元へ戻ってきて授乳を求める。

そして柔らかい音の湯が注がれる中、ゆっくりと眠りに入っていった。

もちろんオトナは眠らない。
ここで音と一緒にダイナミックな意識の瞑想に入る。
時間、空間の隙間を埋めるように注がれる音の粒子の行き先を追いかけるうちに
意識は不思議な時空間に入る。

残念ながら私は授乳に氣を取られ、完璧には集中を超えられなかったけれど
それでも、日常を離れた自分を超えたところにはたどり着く。

「ここはどこ?わたしはだあれ?」

子どもの時にそんなことを言って遊んでいなかっただろうか?

私はよく
「ここはどこ?わたしはだあれ?」
の状態になる子どもだったと思う。笑

ちょっと不思議なところ(ディズニーランドとか、高いビルとか)に行くと
すぐに意識が抜け出てしまって
外から自分を見ている自分がいる。

そして問いかけている自分がいる。

「ここはどこ?わたしはだあれ?」
「いずれは死んでこの肉体を去って行く、このわたしというのはいったいだあれ?」

そんなことやこんなことを人に言えずにオトナになったけれど、
だいぶ長いこと、
「宇宙ってなんなの?」「死ってなんなの?」「なぜ生まれて来たの?」「私はなぜ女なの?」「なぜ私は日本人なの?」
そんなことに真剣に悩んだり、考えたりして来た。
ダンスの練習に集中するときや、小説を書いている時にだけ、そんなことから自由になれていたのかもしれない。

ヨガの師(タントラの道を行く方)に出会って、瞑想とヨガに出会った時に
全ての答えをもらうことができた。

そこから生きることの意味や目的が変わって

そして今私はここにいる。

「わたしはわたし。ここはいま。」

そんな確信を持って、腕の中の子どもにお乳をあげて、
そして音の波に抱かれる自分がいる。

ときは流れても、わたしの中のわたしは7歳の頃のそれと変わっていない。

いつだって、ただそこにあるのは

「わたしというわたしと、いまといういま」

その中の純粋性は何も変わらない。

この腕の中の子の、この美しさも純粋性も
何年たっても何十年たっても変わらないだろう。
声変わりをして、お股や脇に毛が生えて男くさくなって来たとしても。

純粋を純粋に保つことは難しいけれど
純粋性は決して壊れない。

何かにまみれて、見えなくなったり、醜く見えたりすることもあるかもしれないけれど
その中の純粋性は決して変化しない。

変化しているのは外側にあるものだけ。

音の波に洗われた後、今日の私の中に浮かんだことはそのことだった。

思えば蓮という名前はそんな意味がある。

彼を通して私は私の中の純粋性を発見させてもらっているのかもしれない。

Sound bathが終わった後、星の光を浴びながら私たちは家路に着いた。

眠ったままの彼をベッドに寝かして、自分たちはシャワーを浴びて隣に眠った。

おそらく彼は最年少のsound bath体験者だろう。
そして、私は世界で初めて授乳しながら、だけれども全力でダンスしてsound bathに参加したお母ちゃんかもしれない。

この日のことは一生忘れない。

完全に黄金色の夜。
藍色の空に浮かぶ星達はとても明るくて親密だった。

ひらりひらりと舞のアイディアが降りて来て、表現されることを求め始めている。

私を通して外に出してあげよう。
と、ちょっとふんばる。

そんな夜から、彼はまた一皮向けて意識がはっきりしたようで
次の日の朝、ハーモニカを吹く姿が頼もしかった。

その成長が眩しいくらいだ。




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